全国書店新聞
             

令和4年9月1日号

本号で創刊2000号

「全国書店新聞」は1966年(昭和41年)5月15日に創刊以来、56年をかけて本号で通巻2000号となった。前身の「全連月報」が1950年(昭和25年)に発行を始めてから数えると72年に及ぶ機関紙活動となる。全国書店新聞は創刊時、月2回刊。その後、1972年(昭和47年)8月から月3回刊、1985年(昭和60年)10月から週刊、2002年(平成14年)4月から月3回刊と変遷し、2010年4月(平成22年)から月2回刊と創刊号当時の発行サイクルに戻り現在に至っている。全国書店新聞の発行を担当する広報委員長は中川謙氏、浪花剛氏、中村義治氏、岩本収氏、今西英雄氏、山口尚之氏、面屋龍延氏と引き継がれ、現在の光永和史氏で8代目となる。全国書店新聞は日書連の機関紙として日書連や各都道府県組合の取り組みとその成果を全国組合加盟書店に伝える役割を果たし、日書連活動の重要な柱として機能してきた。本号では光永広報委員長に全国書店新聞のこれまでの歩みと今後にかける意気込みを執筆してもらった。
《日書連の活動伝えて56年/組合と書店結ぶインフラの役割担う/日書連広報委員長・光永和史》
昨秋、面屋龍延委員長の後を受け広報委員長に就任いたしました。どうぞよろしくお願いいたします。
全国書店新聞は1966年(昭和41年)より発行が始まり、56年目を迎える本号で記念すべき創刊2000号となりました。これほど長い期間、全国津々浦々の組合員や業界関係者に届けられている機関紙はあまりないと思います。これまで本紙の発行を見守っていただいた歴代広報委員長と日書連事務局の編集担当者に敬意を表する次第です。
私が愛媛県書店商業組合の広報委員として初めて日書連活動に参加したのは昭和50年頃。はや40年ほど前になります。当時の日書連は会長が松信泰輔氏、広報委員長が浪花剛氏でした。書店業界はブック戦争と呼ばれる時期にあり、正味下げ運動と地方格差の是正など日書連が本当に活発に動いており、九段会館での全国集会や愛媛県の書店仲間と参加したデモ行進のことはよく憶えております。これらの日書連の活動を逐一全国の書店仲間に伝えたのが本紙です。その後、1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災、2011年(平成23年)の東日本大震災の大惨事でも、編集記者がすぐ現地へ取材に出向き、現場の書店の状況や生の声を届け、組合機関紙ならではの報道がなされてきたことはご承知の通りです。本紙は全国の書店と出版業界全体を結ぶ最重要インフラとして役割を果たしてきたと思います。
日書連広報委員会主催の全国広報委員会議も、現在は2年に1回、参加人数を絞って日帰り開催となっていますが、当時は毎年10月頃、東京・千駄ヶ谷の日本青年館に全国の広報委員を一堂に召集して1泊の日程で開催していました。初日の午後1時から夕刻まで全体会議、夕食の後テーマ別に分科会を行い、夜遅くまで議論しました。そして翌日、分科会ごとの発表と今年度の活動を確認して解散という、まるで合宿のような会議でした。会議の後に日本青年館の食堂に用意された昼食のカレーが懐かしく思い出されます。
この40年間で出版業界も書店経営も大きく変わりました。出版物の売上げは1996年(平成8年)の2兆6000億円をピークに減少が続き、現在は1兆2000億円になっています。何より問題なのは全国各地で書店が減少していることです。地方の街々に書店がなければ本や雑誌の売上げも減少します。時代や流行とともに必要なものは変化して当然ですが、ネット通販やCVSだけでは不十分です。地域の読者にとって、特に子供たちにとっては街の書店が必要です。書店経営が書籍と雑誌の売上げだけでは成り立たない現状は異常だと思います。
せっかくの機会ですので、私の希望する2つの私見を提言します。
一つは日本の出版物の価格が安すぎるということです。海外を旅行したとき当地の街の書店を訪ねるたびに、もっと日本の出版物は定価を高くつけるべきと感じます。日本の出版物は世界に誇れる文化です。もっとその価値に見合った定価をつけてもいいのではないでしょうか。
もう一つは流通の問題です。お客様の注文を1週間待たせる現在の流通に疑問を感じます。これでは書店から読者が離れて当然で、新しい流通システムの構築が必要です。日書連が書店経営環境改善運動で求める粗利益30%以上獲得が実現し、定価問題と流通問題が改善すれば、まだまだ全国の書店は希望をもってやっていけます。
全国書店新聞は現在、月2回の発行となっています。かつて週刊で月4回発行していたことを考えると現状を良しとすることは決してできません。しかし、日書連と各組合の厳しい現状、全国的な組合加盟書店数の減少に伴う各組合からの情報発信・記事投稿本数の減少、編集部の人員減を鑑みれば致し方ないと考えます。現在の月2回が最低限の発行サイクルであると肝に銘じ、編集部とともに、より一層紙面の充実に取り組んでまいります。
未熟な身を顧みず大任をお受けしたからには、日書連の発展のため、歴代広報委員長や諸先輩方の功績に恥じないよう精進してまいります。お力添えをお願い申し上げます。
最後になりましたが、永年にわたり全国書店新聞への情報提供や広告出稿その他でご協力いただいております業界関係者の皆様に心より感謝申し上げるとともに、今後ともご理解とご支援を賜りますようお願い申し上げます。

「全国書店新聞」2000号の歩み

「全国書店新聞」創刊から節目となる2000号のこの機会に、前身の「全連月報」時代を含めて過去の歴史を振り返り、本紙が組合運動とともに歩んできた姿を「2000号の歩み」としてまとめた。
〈前史「全連月報」(1950~1966)〉
■1945年(昭和20年)
12月、日本出版物小売統制組合全国聯合会(全聯)が創立。初代会長に大曾根銈治。
■1947年(昭和22年)
4月、日本出版物小売協同組合全国聯合会に改称。
■1948年(昭和23年)
日本出版物小売業組合全国聯合会に改称。
■1950年(昭和25年)
5月、日本出版物小売業組合全国連合会(全連)に改称。5月1日、機関紙「全聯月報」創刊。タブロイド判、2ページ、月刊。編集発行人は江間京一。第2号5月20日発行、以後第12号まで月刊で発行するが、第13号は1年後の1952年3月発行。第4号から「全連月報」と改題。月報委員会設置。委員長に木和田為作。
■1953年(昭和28年)
3月発行の第18号から月報委員長田辺茂一。7月10日付・第21号から編集兼発行人水谷章一。以後、毎月20日発行をうたいながらも、年に2、3回程度の不定期刊が続く。
■1955年(昭和30年)
7月、第2代会長に大川義雄。
■1956年(昭和31年)
11月刊の第36号から「全連会報」と改題。以後、発行月のみ記載し、発行日はない。
■1959年(昭和34年)
12月から発行人木和田為作。
■1960年(昭和35年)
5月、月報委員長に中川謙。7月から発行人中川謙、編集人出口一雄。
■1961年(昭和36年)
4月15日発行の第50号から判型がB5判に変わり、スタイルを一新。編集人出口一雄、発行人中川謙。以後1966年4月15日発行の103号まで、ほぼ月刊発行の態勢が続く。
〈本史「全国書店新聞」(1966~)〉
■1966年(昭和41年)
5月15日、「全国書店新聞」創刊。タブロイド判、6ページ。発行人は広報委員長の中川謙。編集長は出口一雄事務局長が兼任。編集は事務局員の白幡義博と額浩があたる。大川義雄会長は「創刊のことば」で「全連強化5ヵ年計画で新聞発行を計画した」と紹介する。毎月1日、15日の月2回刊。配送は当初、第3種郵便物認可がとれず、取次経由で配布した。「全連会報」と異なり、購読料として定価1部30円、年700円(〒共)の記載がある。7月から1部35円、年840円に改訂。7月15日第3種郵便物認可。
■1969年(昭和44年)
5月、第3代会長に酒井正敏。10月1日付・第82号から組合員に直送。定価1部50円、年1200円。
■1971年(昭和46年)
7月1日付・第124号から定価1部70円、年1600円。
■1972年(昭和47年)
4月、長く発行人を続けた中川謙広報委員長が死去。5月、「日本出版物小売業組合全国連合会(全連)」から「日本書店組合連合会(日書連)」に改組・改称。同月、沖縄組合が日書連に加入。6月、広報委員長に浪花剛。8月1日付・第151号から毎月1日、10日、20日発行の月3回刊。購読料年2500円に改訂。活版印刷から輪転機印刷に変更。編集長に松下英夫。ブック戦争(書籍正味獲得運動)始まる。
■1973年(昭和48年)
7月、第1回通信員会議。編集部に伊藤経一。
■1974年(昭和49年)
4月1日付・第209号から購読料1部100円、年3600円に改訂。編集部に大川哲夫。
■1976年(昭和51年)
4月5日付・第281号から購読料1部120円、年4320円に改訂。編集部に田中徹。
■1977年(昭和52年)
5月、第4代会長に松信泰輔。
■1978年(昭和53年)
10月、公取委橋口収委員長が再販廃止宣言。
■1979年(昭和54年)
3月、日比谷公会堂で再販廃止反対全国書店総決起大会を開催し、3000人結集。100万署名。編集部に宮川智。
■1980年(昭和55年)
10月、新再販制度スタート。同月、「通信員」の名称を「各都道府県広報委員」に変更。
■1981年(昭和56年)
11月、出版物小売業公正取引協議会が発足。編集部に中沢泰。
■1982年(昭和57年)
4月15日付で創刊500号。記念論文「低成長時代にどう対処する―私の書店経営」を募集。特選は「返品率が低いと言われる私の店の実態レポート」(北海道長万部町・加藤書店加藤節雄)。返品減少運動始まる。
■1985年(昭和60年)
10月3日付・第625号より毎週木曜日発行の週刊化。購読料1部130円、年6000円に改訂。編集部に木下直也。
■1987年(昭和62年)
9月、編集長に田中徹。編集部に石井和之、長谷川敬子。
■1988年(昭和63年)
6月、法人格を持つ日本書店商業組合連合会に改組。
■1989年(平成元年)
4月、消費税3%で導入。編集部に牧野祐介。
■1990年(平成2年)
編集部に寺田圭司。
■1992年(平成4年)
1月、発行日を木曜から水曜に繰り上げ。11月、東京組合が経営健全化大集会。編集部に白石隆史。
■1993年(平成5年)
6月、広報委員長に中村義治。7月14日付で1000号。記念懸賞論文を募集。特選は「書店における読者開発」(熊本・金龍堂樋口欣一)。10月6日付・第1011号より年間購読料7210円(税込)に改訂。編集部に土屋和彦。
■1994年(平成6年)
5月、第5代会長に小沢淳男。
■1995年(平成7年)
1月、阪神・淡路大震災。3月、地下鉄サリン事件。11月、再販擁護全国書店総決起大会。12月、広報委員長に岩本収。
■1997年(平成9年)
4月、消費税率5%に。4月16日付・1181号から年間購読料7350円(税込)に。10月、第6代会長に萬田貴久。
■2000年(平成12年)
9月、岩本収広報委員長が退任、辰巳寿一副委員長が委員長代行。
■2001年(平成13年)
3月、公取委、再販「当面は存置」の結論。6月、広報委員長に今西英雄。
■2002年(平成14年)
4月1日付・第1418号より毎月1日、11日、21日発行の月3回刊化。
■2003年(平成15年)
4月1日付・第1454号から紙面の一部をDTP化、9月1日付・第1469号から完全DTP化。
■2004年(平成16年)
7月11日付で1500号。記念論文を募集。入選4点。
■2005年(平成17年)
5月、第7代会長に丸岡義博。6月、広報委員長に山口尚之。
■2006年(平成18年)
11月、日書連共済会が解散。
■2007年(平成19年)
5月、第8代会長に大橋信夫。
■2009年(平成21年)
6月、広報委員長に面屋龍延。
■2010年(平成22年)
4月1日付・第1702号より毎月1日、15日発行の月2回刊化。
■2011年(平成23年)
3月11日、東日本大震災。6月、編集長に白石隆史。
■2013年(平成25年)
4月、消費税軽減税率適用を求める「50万署名運動」。6月、第9代会長に舩坂良雄。
■2014年(平成26年)
4月、消費税率8%に。4月1日付・第1798号号から購読料年7560円(税込)に改訂。
■2016年(平成28年)
6月、「全国小売書店経営実態調査」報告書まとまる。粗利益30%以上への拡大を求める書店経営環境改善運動開始。
■2019年(令和1年)
6月、第10代会長に矢幡秀治。10月、消費税率10%に。10月1日付・第1930号から購読料年7700円(税込)に改訂。
■2020年(令和2年)
1月、日本国内の新型コロナウイルス感染症第一例。4月、全国に緊急事態宣言。
■2021年(令和3年)
4月、「書店くじ」に代わる店頭活性化・販売促進の新事業「読者還元祭」開始。9月、広報委員長に光永和史。
■2022年(令和4年)
2月、ロシア・ウクライナ戦争始まる。7月、安倍元首相暗殺。9月1日付で2000号。
(敬称略)

寄稿「広報活動の思い出」/「熱気あふれる全国広報委員会議」福井県・じっぷじっぷ・清水祥三氏

4回目のワクチン接種で左腕が痛い。これでは原稿が書けない…と言いわけしたいのだけれども、利き腕は右、キーボード入力は片手なのであまり関係は無い。文章を書くというのはなかなか大変なことである。今もこの原稿仕上げから何とか解放されたいと願っている。でもこの現実逃避したい気持ちを抑え、締切り当日必死になってパソコンに向かっている。
そしてそれでもダメなときは「本当の締切り日は?」という究極の先延ばしという禁じ手がある。ただこれをしたからといって文章が生まれてくるわけではない。そもそも原稿依頼の打診があった時に決して断らないという性格が問題なのだが。
全国書店新聞の紙面は、日書連の方針、各県の取り組みなど組合員への情報を中心に構成されている。そして日常業務のなかでの疲れを癒してくれたり、背中を押してくれたりする店頭での小さなエピソードや、日々の笑いや怒り、感謝などの思いがあふれる魅力のコラムの存在がある。そんなのを書けたらという思いもあって、苦手だけどチャレンジしてきたわけなのである。
とはいっても思いだけで文章が書けるわけでもなく、昔から組合総会の定型っぽい原稿もぎりぎりまで四苦八苦してきた。いつかはこの苦しい経験を積み、歳を重ねれば余裕をもって楽に文章を仕上げるようになると信じていたのに、70を過ぎてしまっても、このギリギリ病は治らず、これに加えてやっかいな物忘れと認知症の狭間にあるような霧がかかることがよくある。人と物の名前が出てこない。なれば、早めに取り掛かかり時間をかけて完成させればよいのだが、残念ながら夏休みの宿題を提出直前にしかしてこなかった癖は死ぬまで治らないようである。
店の向かいにある福井市立図書館が、2年後にリニューアルオープンの予定で大幅なリフォーム、リニューアル工事の為に休館した。この図書館が開館した翌年の1977年7月14日にわが店はオープンした。
まだ、組合加入が取次との取引開始の条件であり、近隣書店2店の承諾が必要とされていた時代。組合加入書店も現在の3倍以上だった。
まだ20代後半で、組合では最若手の新参者で人見知り世間知らずだった私は、50名以上の書店に20数名の出版社という参加の総会後の懇親会では、お酌などできるわけもなく黙々と目の前の料理を食べていた覚えがある。
そして書店商業組合へと改組する頃だったと思うのだが、安部定志理事長から呼び出しがあり、全国書店新聞の広報委員を任命された。理由は、その年に理事長に出した年賀状の文面が良かったからというものだった。ちなみにその文は妻が書いたものだったのだが。
その時の日書連会長は松信泰輔さんで、広報委員長は確か北海道の浪花剛さんだったと思う。全国書店新聞は毎週発行されていた。年1回開かれる全国広報委員会議では、日書連が取り組む出店問題や再販制の問題、取次をめぐる問題等など大きなテーマと、それを巡る各県の取り組みが論議されたが、当時の広報委員は論客が揃っていて、熱を帯びた発言をただ拝聴するばかりだった。けれどもそれは充分に上京する価値があるものだった。
振り返ればいろいろあるのだけれども、現在月2回届けられる全国書店新聞は、今もその存在感を示している。そして今年秋には4年ぶりの全国広報委員会議が開かれる予定だ。私ももちろん、安部定志理事長から始まり、角谷和男理事長を経て、現在の安部悟理事長の下、福井県広報委員として出席する予定である。

寄稿「広報活動の思い出」/「地元の活動を紙面で全国にPR」兵庫県・安井書店・安井唯善氏

調べたら2009年から2019年まで丁度10年間兵庫県書店商業組合の広報委員を務めておりました。当時の山根金造理事長のご指名でした。
前理事長の故村田耕平相談役から「兵庫県の歴代広報委員は優秀広報委員賞を受けているからな」と、激励とプレッシャーを受けたのを鮮明に思い出します。
当時の兵庫県組合は、組合の独自企画が目白押しでネタには事欠くようなことはありませんでした。
特に記憶に残っているのは「古事記編纂1300年記念事業」です。国生み神話の舞台である兵庫県組合として「古事記」に関する情報を発信し、組合加入のメリットとなる企画をと考えました。企画名は「読んで、聞いて、行ってみて神話の世界【古事記三昧】」。ブックフェアを実施し、お買い上げの方の中から抽選で20名をバスツアーに招待するもので、地元の神姫バスとの提携により実現しました。
別途希望者を募りバス3台62名の方を淡路島へお連れしました。伊弉諾神宮ご祈祷、淡路神楽見学、渡船に乗り沼島にて現地ガイドと神話伝説島めぐりというツアーです。参加の方々より、本屋さんの旅行はうんちくに富んでいて流石と大いに褒めていただきました。
この企画の実現に至る経緯(プロジェクトチーム制定、ブックフェア選書、講演内容選定、チラシ、ポスター作製等々)を詳細に全国書店新聞に投稿させていただきました。
また翌年には2匹目のどじょう狙いで、その年のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」になぞらえて同様の企画を神姫バスの協力にて実施しました。現地ガイドによる、水攻めの備中高松城見学と中国大返しの説明、当時の携行食体験等のツアーです。
この企画についても詳細に全国書店新聞に投稿しましたが、残念ながらこの企画は2年で頓挫しました。
故村田耕平元理事長は、兵庫県との長年にわたる関りにより太いパイプを持たれていました。氏の尽力により兵庫県組合役員は当時9年連続して兵庫県産業振興功労賞受賞の栄誉に浴してきました。
理事長のみならず長年理事を務めている役員を兵庫県に推薦し続けていただいた賜物です。毎年7月の移動理事会にて受賞祝賀会を実施しており、その都度全国書店新聞に投稿してきました。ちなみに故村田耕平氏は功績が認められ、本年箱根の出版平和堂に顕彰されます。
また、毎年、書店組合総会、新年互例会、兵庫トーハン会総会も工夫を凝らして開催されておりました。神戸中華の名店「神仙閣」での新年会、日本を代表する名湯有馬温泉「有馬グランドホテル」でのトーハン会は魅力ある会として認知され、遠方より多くの関係者様に集っていただきました。その都度盛況ぶりを記事にしてきました。コロナ禍の今とは隔世の感があり、早く往事の賑わいをと渇望しております。
2011年、全国広報委員会議に出席すべく意気揚々と上京しましたが、投稿本数は残念ながら次点でした。京都の澤田直哉広報委員が優秀広報委員賞を3年連続受賞と聞き、強敵の存在を知りました。
翌年、打倒京都を胸に秘め精進し投稿に励みました。結果2012年の全国広報委員会議で晴れて優秀広報委員賞を受賞することが出来ました。
広報委員に任命された間、業界の情報に留意して何か兵庫県のアピールが出来ないか、何か組合員に有益なネタがないか常に考えアンテナを張っていました。お陰で広報委員の10年間価値ある貴重な時間を過ごすことが出来ました。
投稿すると図書カードが送られて来ます。当時学生だった二女に都度プレゼントしており毎回大いに喜んでくれました。プチ作家気分を味わった広報委員活動でもありました。

組合加入促進が重要課題/雑誌発売日の改善求める/長崎組合総会

長崎県書店商業組合(中山寿賀雄理事長)は、7月27日、諌早市の水月楼で第35期通常総会を開催。組合員20名(委任状含む)が出席した。
総会では中山理事長があいさつ。業界の現状に言及し、書店の減少や売上の減少、3年目に入った新型コロナウイルスの影響等、非常に厳しい状況にあると説明。また、「全国の書店経営者を支える議員連盟」(書店議連)の活動について説明があった。
その後、古瀬寛二副理事長を議長に選任して議案審議を行った。
1号議案の事業報告を中山理事長が行い、令和3年度の概要について、紙の出版物販売額は全体で1・3%減少し、17年連続マイナスと非常に危機的な状況であると説明。長崎組合も1店が脱退、存続が危ぶまれる状況になりつつあるとした。続いて2号議案の決算報告を中山理事長が説明、山本監事より監査の結果適正だったと報告。ともに全員異議なく承認された。
3号議案の令和4年度事業計画について中山理事長は、組合未加入書店の加入促進、九州一円の雑誌発売日を3日目地区に戻すよう要望すること、新型コロナウイルス感染防止対策の継続――などを説明。4号議案の収支予算案とともに承認された。
5号議案の役員改選は、選任した選考委員が理事候補者の発表を行い、全員を承認。その後、中山理事長はじめ役員体制を発表し、承認された。
総会終了後、来賓として長崎県中小企業団体中央会の野村氏よりあいさつがあり、県中央会の現状やコロナ対策などについて説明。続いて、テジマ運送の手島社長より運送業務の厳しい実態などについて説明があった。
その後懇親会を行い、日程を終了した。
(古瀬寛二広報委員)
[長崎組合役員体制]
▽理事長=中山寿賀雄(好文堂書店)
▽副理事長=辻田信(博文堂)古瀬寛二(ながせや)

北海道書店商業組合7月定例理事会

7月19日、札幌市中央区の北海道建設会館会議室で開催した。志賀健一理事長は6月に行われた日書連通常総会について報告。道組合の活動については、9月20日開催予定の理事会を同15日に変更すること、NHK出版から送付された「名刀甲冑武具大鑑」のポスター等を組合員に発送するとの報告があった。
(事務局・髙橋牧子)

読進協「敬老の日読書のすすめ」推薦図書24点

読書推進運動協議会(読進協、野間省伸会長)は2022年「敬老の日読書のすすめ」のリーフレットを作成した。各道府県の読進協から寄せられた「敬老の日におすすめする本」の推薦書目をもとに、読進協事業委員会で選定したもの。リーフレットは各道府県の読進協、全国の公共図書館、書店などに送付している。
推薦図書は以下の24点。
▽『九十八歳。戦いやまず日は暮れず』佐藤愛子、小学館▽『ボクと、正義と、アンパンマン』やなせたかし、PHP研究所▽『80歳、何かあきらめ、何もあきらめない』萩本欽一、主婦と生活社▽『91歳。一歩一歩、また一歩。必ず頂上に辿り着く』道場六三郎、KADOKAWA▽『崑ちゃん90歳今が一番、健康です!』大村崑、青春出版社▽『世界でいちばん幸せな男』モディ・ジェイク(著)/金原瑞人(訳)、河出書房新社▽『その日まで』瀬戸内寂聴、講談社▽『家族のようなあなたへ―橋田壽賀子さんと歩んだ60年』石井ふく子、世界文化社▽『枯れてこそ美しく』戸田奈津子/村瀬実恵子、集英社▽『幸田文生きかた指南』幸田文(著)/青木奈緒(編)、平凡社▽『ちょうどいい孤独』鎌田實、かんき出版▽『俳句と人間』長谷川櫂、岩波書店▽『ぼけますから、よろしくお願いします。おかえりお母さん』信友直子、新潮社▽『老いを愛づる』中村桂子、中央公論新社▽『老後とピアノ』稲垣えみ子、ポプラ社▽『60代から心と体がラクになる生き方』和田秀樹、朝日新聞出版▽『あと20年!おだやかに元気に80歳に向かう方法』保坂隆/西崎知之、明日香出版社▽『高齢者を身近な危険から守る本』森透匡(監)/平松類(監)/三平洵(監)、池田書店▽『60年前と現在の世界地図くらべて楽しむ地図帳』関眞興(編著)/二宮書店(協力)、山川出版社▽『ボタニカ』朝井まかて、祥伝社▽『わたしのなつかしい一冊』池澤夏樹(編)/寄藤文平(絵)、毎日新聞出版▽『旅の絵本X』安野光雅、福音館書店▽『すきなものみっつなあに』ウェンディ・メドゥール(文)/ダニエル・イグヌス(絵)/やまもとみき(訳)、化学同人▽『嫌われた監督落合博満は中日をどう変えたのか』鈴木忠平、文藝春秋

訂正

8月15日付4面に掲載した協和出版販売の新役員体制決定に関する記事で、藤原敏晴氏が取締役とあるのは監査役の誤りです。お詫びして訂正します。

生活実用書・注目的新刊/遊友出版・齋藤一郎

東南アジアは戦前まで南洋と呼ばれていた。
太田尚樹著『南洋の日本人町』(平凡社新書880円)。資源の少ない日本は南洋を夢見て進出し、定住する。本書は東南アジアに実在した日本人町を渉猟する。江戸後期から明治にかけて、シンガポール、マラッカ(ムラカ)、ペナン、ボルネオ島(カリマンタン)のサンダカン、マニラのディラオ、ミンタルなど、交易の拠点として日本人町ができた。その一方で、貧しさから家族を救うために出てゆく娘たちも数多くいた。今は言わなくなったが、カラユキさんと呼ばれた娘たちである。たとえばシンガポールには1877年、2軒の娼館があったという。この日本人町はカラユキさんから始まったのである。今も日本人墓地に眠る人も多い。
時代は遡り、タイのアユタヤ、ベトナムのホイアン、マニラにも、鎖国より前の戦国時代に日本人町が形成されていた。
宇山卓栄著『民族と文明で読み解く大アジア史』(講談社+α新書1200円)は東南アジアからトルコまで、アジア民族の足跡を、幅広く辿る。日本人は遺伝子上チベット人に近い。中国は92%が漢民族と言うが実際には漢民族など1人もいない。アジア民族の持つ世界観を探る1冊。

「春夏秋冬本屋です」/「物見遊山」兵庫・オクショウ代表・田村恵子

もうそろそろ終息するのではなかろうかと期待すること早2年半。まだまだこの感染症は収まらない。いつ頃からかはすっかり忘れたが、なんだかんだと言い訳をしつつ旅に出ることが多くなった。看板犬だった溺愛犬〝うめ〟と一緒に、鳥取砂丘や和歌山までドライブした事が始まりだっただろうか。
大人になって初めて行った海外はイタリアだった。イタリア語はもちろん、英語すらほとんど喋ることが出来ないのに、旅程を自分で組み一人旅をした。失敗や白タクやスリなどのトラブルは有ったが、思い返すと今では良い思い出だ。その後はベトナム・台湾・ニューヨークなど色々行った。中でもお気に入りはシンガポールとラスベガス。ラスベガスに関しては繰り返し渡航し、通算1ヵ月以上滞在しているほど気に入っている。
海外ではゆったりと寛ぐのが好きで、よくホテルのプールに行っていた。日本のように10代20代ばかりではなく、杖をついた歳を重ねたご夫婦まで、プールサイドでは老若男女が水着でゆったり寛いでいる。その手元にはペーパーバックからハードカバー、そして少数派だが電子書籍と多種多様。スマホを触るのは連絡だけで、すぐに読書に戻る…これは読書=非日常を楽しむ道具なのか、それとも本が好きだからなのか。どちらにせよ、ゆったりと本を読むのが主流であるのは間違いないようだ。こんな習慣、日本にも出来ないかなぁ…